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3.11の翌日

私たちはあの日から6年後の今を生きている。そのことは今日も身体の感覚を少し重くする。何年経ってもあの日以前には戻れないのだ。

私は東京にいて、あの日は都心の低層ビルで仕事中に地震に遭った。ビルの防災指示で近くにあるホテルの広場へ一旦避難し、その後早めに帰宅することになった。交通機関のマヒが伝えられた。

大通りに出ると徒歩で帰宅しようとする人の波が既に見られたが、そのうち地下鉄が動くだろうとまずは夕食をとることにした。ビールも飲んだ。夜遅くになって駅へ行くと運転再開がアナウンスされて10分程で乗車できた。長めの停車を繰り返しながらも地下鉄は無事に最寄り駅まで運んでくれた。

自宅までの道を歩いていると、明治通りの歩道を都心方面から来る人々の大行列が見えた。それはちょっと異様な光景で、デモ隊の行進のようでもあり、今起きていることの重大さを訴えているようだった。

帰宅してTVを点けると、画面には津波情報のテロップが流れ、東京では帰宅困難者があふれているとのニュース。私は普段とさほど変わらず帰って来ることが出来たし、食事も楽しんだし、ビールも飲んだ。それを単純に幸運とも思えず、複雑な心境になった。悪いことをしたとまでは思わなかったが。

翌日になるとTVは大津波の被害をまざまざと映し出した。言葉が出なかった。そして原発事故の一報が入り、さらに戦慄することになる。あとはもう身を硬くしてニュースを見続けた。恐怖は翌日にやってきたと感じていた。

私は東京にいて被災もしていない。3.11当日は地下鉄でスムーズに帰宅できた。その後の計画停電も免れた。私の体験談なんぞ取るに足らないものだ。

それでも、あの時感じた恐ろしさは身体に残っており、その記憶と感覚は消えない。

 

 

 

伝説の(笑)

目白方丈記が帰ってきました。

ごきげんよう目白、さらば雑司ヶ谷、またいつか…と、この他を後にして早六年。

とはいえ四年前には戻ってきてまして、今日までボーっと過ごしていました(笑)

そろそろというか、まだまだというか、また始めます。

まずは開始表明まで。